一昨日、祖母が亡くなりました。
このブログでも出てきたことのある、初曾孫にフィーバーしちゃってたサキ子さんです。
3年前、自宅で転倒し足を悪くした後は
元気老人の入る施設で暮らしていた祖母。
家にいるときは、まさに引きこもり老人で、寝てるかテレビ見てるかだったのが
施設に移った途端、何かが彼女の中で弾けたようでw
とても明るくなり、イベント毎にも積極的に参加して
それはそれは施設生活を堪能していたようです。
部屋にははっくんの写真を持ち込み、毎日挨拶していたんだとか。
ちょっと待て死んだじいちゃんはどうしたwww
そんな状況で、4月初めには花見にも行って楽しんでいた祖母ですが
どうもフラフラする、ムカムカすると言い始めまして。
調べたら、貧血がえらいことに・・(Hb7.0台)
胃は内視鏡で調べて問題なく
この急激な下がりっぷりから、どこかからの出血が疑われたものの
以前大腸内視鏡で超しんどい思いをした祖母、検査は拒否。
もう自然の成り行きに任せようという話になりました。
その頃、こちらでは私が思いっきり体調を崩し
ついでにはっくんはおはじきを飲み込み(;´Д`)えらいことになってました・・
で、一時帰国。
はっくんが退院した次の日、とうとう起き上がれなくなった祖母が入院。
入院といっても、本人の希望もあって検査もせず、最低限の点滴のみですが・・
数日後お見舞いに行ったときには、殆ど寝ていて時々起きる、という状況。
ちょっと見当識障害も生じていて、はっくんの名前を間違えて呼んで
はっくんが固まっちゃったり(;´Д`)その後はちゃんと分かってくれましたが・・
状況的にも、会えるのはこれが最期かなぁと思っていました。
きっと、祖母も同じように思っていたんだと思います。
祖母「もうじいちゃん迎えに来んかのう・・」
私「まぁじいちゃんにも都合っちゅーもんがあるやろー」
祖母「ほんで私ここどこにおるん?」
私「病院やでー、ばあちゃん調子悪くなって、入院しとるんやで」
祖母「ほうなー、ここは寒いわー」
・・と、ちょっと頓珍漢な会話をすること20分。
「お母さん(私)は、はよ元気にならないかんなー
はっくんは、元気で大きくなりなよー」
これが、私たちとの最期の会話となりました。
その2日後には、実の娘である母のことも分からなくなったようです。
そして、一日の殆どを寝て過ごすように。
全く食べられず、わずかな点滴だけの治療でしたが
不思議と祖母は苦しむことが全くなかったようです。
すぴすぴ寝ていて、時々だるくなるのか足をもぞもぞぶんぶん動かして
大声で話しかけられたら返事はする、そんな状態で3週間。
最期は、相変わらす気持ちよく寝ながら、昼間ちょっと肩で息してるなーと思ったら
その半日後にはそーっと亡くなっていたそうです。
ああ、ぽっくりでは無いけれど、こういう死に方もあるんだなぁと・・
本人的には割と楽な最期だったんじゃ無いかと思います。
そして、祖母が亡くなった次の朝
私のあほほどしんどかった状況が一気に改善しました。
それまでまともに起きられなくて、立ち上がる度目の前真っ暗になっては
数十秒固まらなきゃいけなかったのが、ぴたっと止みまして。
食欲も出るし、流石に体力は落ちてますが、体は楽になりました。
・・このばあちゃん、何かあると祖父でも母でも無く
孫の私の所にやってきては、延々愚痴ってすっきりする、ということを
昔からやっておりまして(;´Д`)←お陰で愚痴聞きが得意になった人
今回の体調不良も、「えらいんでー」と愚痴りに来てたんちゃうか?と
うちの両親は言っておりますwww私もそう思うわーorz
しかしあの時、はっくんがおはじきを飲んでなければ
最期に話をすることも出来なかった、そう思うと
ちゃんと繋がってるなぁ・・なんて思ってしまうのです。
流石に葬儀には出られませんでしたが
はっくんの夏休みで一時帰国する期間に法事が入りますので
その時にしっかりお参りしてきます。
ばあちゃん、お疲れ様。
新しい旅立ちが、幸多きものでありますように。
いつもありがとうございます(´∀`*)